5IVESモータース~プラグインハイブリッドで駆け抜ける喜び!?

BMWが世に放つ、プラグインハイブリッドはどこまで駆け抜ける喜びがあるのか!?(笑)

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ナルディのシフトノブ

もうすぐGolf7 GTIが納車されるよ

嬉しいな

昔から車を買ったらホイール、ハンドル、シフトノブってお約束で変えるんやけど、ホイールは純正でいいかって大人な考えになりまして、ステアリングはGTIの純正を変えるのはもったいない・・・

残るは何かパッとしないシフトノブの交換なんですけど、DSGは難しそうですね

たぶん、無理なんじゃないかな(笑)

もしもできるんなら大好きなナルディのシフトノブに交換したい

でも構造的に今の車は難しいだよね

 

 

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Enrico Nardiは、ワールドワイドな製品を独自のプロセスによって作り上げ、イタリアの自動車産業の歴史に鮮明に貢献した、非常に高いカリスマ性を持つ、優れた実業家の一人でした。

  1907年、イタリアのボローニャでトルコ系の家系に生まれたNardiは、戦前から戦後にかけて車のエンジニアリングやデザインに多大なる功績を残し、技術者としての情熱のすべてをレースに打ち込みました。Nardiはエンジン、デフ機構、ギアボックス、インテークマニホールド、排気システム、サスペンションレイアウト、ブレーキにいたるまで、車のすべてのデザインに変化をあたえました。中でも忘れてはいけないものが、ステアリングホイールです。
Nardiの名は、非常に早い段階からEnzo Ferrari(エンツォ フェラーリ)、Vincenzo Lancia(ビンチェンツォランチャ)といった、他の有名な自動車業界の巨匠たちと繋がりを持っており、彼が真の技術者であったことが記憶されています。

  Nardiが最初にクルマを作り上げたのは、彼がエンジニアの学生であった25才のときです。彼はすでにその時期から、多大な才能や能力の片鱗を見せはじめていました。最初のNardi carは実際には存在しない物でしたが、スクラッチ(廃車)のBritish空冷998ccJAPモーターサイクルエンジン、巧みに工夫された5speedギアボックス、デフ近くのホイールに内蔵されたリアブレーキなどが設計されており、それらのパーツによって、嘘のように簡単に製作された特別(オリジナル)の車でした。ライトウエイト、グッドパワーを結合させることで約180km/hの最高速を与え、若いNardiの力はその時代のヒルクライムにおいて無視できない存在になりました。

  その時期のレースに関わった知識が助けとなり、Lancia社において少々平凡なトラックシャーシーテストドライバーの仕事に就きました。しかし、この頃すでに彼の影響力はかなりのレベルに達しており、NardiはVincenzo Lancia個人への、価値のあるコンサルタントになろうと働き掛けました。1937年にScuderia Ferrari(スクーデリア フェラーリ)と協力し、ドイツグランプリのレースを皮切りに、1950年の最初のFormulr 1(フォミュラー ワン)のチャンピオンシップタイトルを獲得した、伝説のAlfa Romeo158の開発やテストにも関わりました。 

  しかし、彼自身の実業家としての気持ちを眠らせておくことはできませんでした。1947年、創設者として1人で進むことを決意したNardiは、パートナーであるビジネスマンのRenato Danese(レナート ダネーゼ)と共に、Nardi製品のシンボルである(現在でも使われ続けている)トレードマーク“ND”を立ち上げました。 
短い期間に、NardiとDaneseのコンビは、驚くほどのスペシャル・チューニングパーツや、スモールシリーズのスポーツカー、クラッシックデザインのチューブラー構造のフレームなど、数多くの製品を生み出しました。最初のNDカーは、軽量かつパワフルなモーターサイクルのエンジン(BMWの空冷750ccボクスターエンジン)を用いた、Nardiが最初に製作を手掛けた車のような2シーターカーでした。

  Nardi社はBMWエンジンのチューニングに取り組み、中央のヘッドライトが特徴的なシングルシーターカーを競技的に仕上げ、そのBMWカーはイタリアでも有名なドライバーを次々と抜き去っていきました。他にも、Fiat1100エンジン、同様に1500エンジン、そして、Ferrariによって作られたの初期のスポーツカーであるAuto Avio Costruzioni815、同じく二個のFiatのブロックから作られたインライン8シリンダー2000ccのスポーツカーなどがチューニングに使われました。NardiとDaneseもまた、Bertone(ベルトーネ)、Allemano(アレマーノ)、Motto(モット)のような車両製造会社によって、別々のクーペタイプやスパイダーバージョンのグランドツアラーを作り上げました。その中には、有名なAlfa Romeo6C 2500も含まれています。 

  Nardiの評判は、設計者やチューナーとして広まっていきました。Nardiは、1950年にパートナーであるDaneseから権利を買い取り、6個のデロルトキャブレターを付けたインテークマニホールドの2リッターV6エンジンのLancia社NEW Aurelia B20エンジンの開発をスタートしました。 
そうして用意された車が、1951年のミッレ・ミリア(イタリアで開催されているクラシック カーレース)において、驚くことにVilloresi(ビロレッシ)の240bhp4.4リッターFerrari340に次ぐ総合第2位の成績でフィニッシュしました。
Nardiはまた、スタンダードカーに採用されていた遅いコラムマウント型のギアチェンジに代わり、フロアマウント型のギアチェンジを開発しました。その結果、他のNARDIオプションのツインキャブレターキットや、ウッドリムのステアリングホイールがオーナーの間で有名になりはじめました。

  1951年、NARDIのエンジニアの手腕や美的センスを活かして、ハンドクラフトによるウッドリムのステアリングホイールの製作が開始されました。そして、それらの直感的デザインは、車のインテリアを特色付けることが出来るすばらしい肌触りの、スタイリッシュで独立したアクセサリーを探していた(特にイタリアの)世界的に有名な車両製造会社からすぐに注文が殺到しました。NARDIステアリングがはじめて装着されたのは1952年のPegasoでしたが、しかしその後すぐに、現在のPrancing Horse(跳ね馬)の伝説を作った車に装備されるステアリングホイールを供給するため、再びFerrariとチームを組みました。 

  1958年からNardiが亡くなる1996年までの間に、彼のステアリングホイールが装着された車は、世界中で合計1473回の優勝を勝ち取り、1961年、1964年のF1チャンピオンシップの優勝を含む、10回のワールドチャンピオンシップを獲得しました。